富塚八幡宮

源頼義・義家父子が奥州下向の途次、当地に露営し、夢に応神天皇及び富属彦命の神託を蒙り、その加護によって戦功を収めたので、1072年富塚山中腹に社殿を営み両祭神を勧請したものである。
富塚彦命は相模国造弟武彦の二世の孫で、境内山頂の古墳がその墓と伝え、これを富塚(トミツカ)と称し、やがて「トツカ」となったのが、「戸塚」の地名の起りと伝える。

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