八坂神社&羽黒神社

八坂神社

祭神として素盞鳴命と稲田姫命の二柱の神を祀っているが、「相模風土記稿」には牛頭天王と記し、1572年6月庄司内田兵庫政親が勧請したものと伝えている。江戸期の参勤交代の際、些細なことから役人の貴諱に触れ、一時神体が地中に埋められ、神殿が閉鎖されたことがあったが、数十年後の1688年内田伝左衛門尉源政利がこれを憂え、矢部村庄司河原氏の霊夢を得て、翌年12月地中より神体を掘り出し、その再興をはかり、以来従前のごとく祭祀を行ったという。

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羽黒神社

戸塚が宿場町になるよう幕府に働きかけていた沢辺宗三は、1616年11月17日に(戸塚が宿場町となる)伝馬証文が下附された際、羽黒社に感謝して祭日を11月17日としたといいます。

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富塚八幡宮

源頼義・義家父子が奥州下向の途次、当地に露営し、夢に応神天皇及び富属彦命の神託を蒙り、その加護によって戦功を収めたので、1072年富塚山中腹に社殿を営み両祭神を勧請したものである。
富塚彦命は相模国造弟武彦の二世の孫で、境内山頂の古墳がその墓と伝え、これを富塚(トミツカ)と称し、やがて「トツカ」となったのが、「戸塚」の地名の起りと伝える。

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天台宗本山格別院 圓満寺

比叡山延暦寺の一坊として794年に大教院と号して創建、天台座主心盛上人が尊朝親王の旨を奉じて1585年再建、安禅院と改称したといいます。明治37年の焼失により昭和3年横浜市名跡を移して再建したといいます。

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杉山大神

創建年代は詳かでないが、日本武尊東夷征討の砌、この地なる大伴久応の庵に宿られ六角の御箸にて御膳をめされたので、その御箸に神名を記し杉山大明神として祀ると。村名も始めは六角箸村としたが、畏れ多いとて六角橋と改めたという。

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